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第160回TOEIC 受験の感想

今日は2011年初回のTOEICを受験してきました。昨日のサッカー観戦を我慢して寝たのがよかったのか、800円ユンケルのおかげか、はたまたトイレ休憩で2枚一気喰いしたアメリカ土産の86%カカオのチョコレートのおかげか、体調万全で臨むことができました。

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今回は緑の解答用紙・問題用紙右上の末尾番号が「2」のマイナーフォーム。ここのところよくマイナーにあたるのですが、ネットやTwitterの話題についていけず寂しい想いをすることが多いので、あまり嬉しくありません。しかし会場に着いて昨年7月に受験したときと同じ教室・同じ座席だと分かったときには驚きました!!点数も同じ990点だといいのですが ^^。

例年1月のTOEICは難問や新傾向が登場したりするのですが、内容自体は期待していたサプライズはなし(自分比)。これはマイナーフォームだったからかもしれません。とはいえリスニングではパート4で1問、地元で採れたリンゴの売り出し期間を答える問題で勘マークが発生。選択肢を読み違えそうになった問題も1問ありました。たしかパート2も1問、塗り直しがあったかな。リスニングはその日の体調や一瞬の気の緩みが災いするので、集中と弛緩を意識して臨んでいますが、勘マークがゼロという回はそんなに多くありません。

印象的だったのはパート5の語彙問題。「ライバル社が主張する自社製品の弱点を○○する広告」という問題で、この動詞の目的語は"competitor's claim"でした。ダミーの選択肢に"recover"があり「名誉挽回するんだからコレ!」というパターンの誤答を誘っていましたが、"refute"(=to prove wrong by argument or evidence : show to be false or erroneous)があったのでこちらを選択。これは英語記事だったか、英語のブログかTwitterかでつい最近見て、意味を確認した単語でした。日々の何気ない勉強がTOEICなどでダイレクトに活きるのは嬉しいものです。

【備忘録】パート3・4の設問先読みは、まとめてするときは選択肢にざっと目を通した方がピンときやすい。直前での先読みは設問に絞る。何と、何と、何を聞くぞ!といった具合。

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"First day?"

今年の冬は例年になく寒いです。「寒いですねぇ」が挨拶の定番になっているのでそれをつい英語に応用したら、とあるnative speakerにタイトルのように返されました。彼は喋るのが速いだけでなく、non-nativeの自分には若干sloppyな発音に聞こえるので、英語が聞き取りにくい人物リスト(あくまで自分感覚比)の上位に入っています。

A:「おはよう」
B:「おはよう。どう今朝は?」
A:「げんきだよ。それにしても寒いよ~」
B:「でもずっと(寒い)じゃん」

この「でもずっと(寒い)じゃん」の意味で使われた"First day?"が、最初は音として拾えず「え、なに?」と聞き返し、再度"First day?"と言ってもらって「まぁ確かに連日寒いよね」と返しました。1回目で反応できなかったのは音をキャッチできなかったことに加え、想定していないフレーズで返されたので(同意されると勝手に思い込んでいた)、とっさに音声的に近似値のフレーズを思い浮かべられなかったことにも原因があると思います。

2回目は音はキャッチできたものの、"First day?"="It's not the first day to be this chilly."="It's as chilly as usual."という回路をたどっていたので、一瞬反応が遅れたのだと思います。"I wasn't born yesterday."(=バカにしないで)というフレーズがありますが、あれに似た感覚でしょうか。早い話が「いつものことでしょうが」の意味で使われる"First day?"が私の「英語ネタ帳」になかったということです。

英語ではコミュニケーションの潤滑油としての「皮肉」がよく使われます。学習を通じて英語を話すようになった英語話者にとっては、皮肉の表現やパターンを知る機会が少なく、実際にnative speakerとのやり取りや映画・ドラマ等を通じてコツコツとネタを貯金していくしか手はなさそうです。本当はこうしたpragmaticsを学べる機会があると良いのでしょうが、独立した科目としてPragmatics(語用論)を教えるところが、アメリカの大学・大学院でもごく一部であるという論文を授業で読んだことがあります。教室で教わることはごく一部に過ぎない、あとは自分で自分を教育していけよ、というわけです。

しかしこれがTOEICのパート2に正解の選択肢として登場したら正解できたかどうか、自信ないなぁ。事前に学べてラッキーでした。このnative speakerはもともと皮肉屋なところがあるので(発音もchallengingだし)自分には生きた教材になってくれる貴重な人物とも言えますね。Thanks, James ;-)

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In what ways is nativelikeness important?

This is my posting on the discussion board of "Second Language Acquisition" course of TESOL program. It's fresh from the press, so to speak ;-) Hope you enjoy reading it.


What came up to my mind upon reading the Abrahamsson & Hyltenstam article (2009) is a kind of innocent question, “In what ways is nativelikeness important?” According to their thorough research and analyses, it seems that there is a certain Critical Period for nativelike ultimate attainment of a second language, and is much less common among child learners than has previously been assumed. OK, then, what constitutes the ultimate “goal” of learning a second language? To be fluent enough to be mistaken as a native speaker and be admitted to its language-community, or to be competent enough to transmit thoughts and intentions as they are, or to be able to repair communication breakdowns when they arise?

I sometimes hear Japanese learners of English claim that they would like to be as fluent as native speakers, or even become native speakers (they do not realize contradicting reality here, though.) Although their ambition needs to be respected as one of the motives to further drive their learning, I cannot logically explain the points in aiming for nativelike attainment as a second language learner/speaker.

As Abrahamsson & Hyltenstam suggest, the probability for late learners to develop a nativelike command of linguistic aspects is close to zero. One of my feedbacks to this research finding should be put that nativelikeness is one state of being as a language user, not a goal or target that any language learners should strive for. From a pedagogic viewpoint, what needs to be identified here is what is learnable and teachable, and what extent the attainment of language-learning can be realized for the sake of second language learners. It could be a very painstaking, almost impossible mission,I suppose.

Languages are often interpreted as the vehicle to convey messages. Being nativelike or achieving nativelike attainment should be meaningful only if those competences are utilized for purposes. It may sound a little sentimental, but I cannot help defending the “non-ultimate” attainment of second language learners even though the authors of the article haven’t negated or even mentioned it.


Reference:
Abrahamsson, N. & Hyltenstam, K. (2009) "Age of onset and nativelikeness in a second language: Listener perception versus linguistic scrutiny" Language Learning 59:2, pp.249-306, Langauge Learning Research Club: University of Michigan.

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学生のティーチング・デモから学ぶ

昨日は非英語専攻の1年生が受ける必修英語の最終授業でした。「それぞれの専攻言語で役に立つフレーズを英語話者に教える」という設定のミニレッスンを、3~4人のグループでやってもらいました。10分という厳しい時間設定の中、学生たちは思い思いのティーチングを披露してくれて、自分は得した気分!英語はつたなくても(失礼 ^^;)、韓国語や中国語を流暢に操る彼らをみて、とても頼もしく思いました。また今回は生徒役に徹していたので、いいティーチングとそうでもないティーチングの対比が面白くもありました。備忘録も兼ねて振り返っておきます。

1.文字情報が多いと散漫になる
 とくに初級レベルのレッスンでは文字情報が多すぎると、
 レッスンのフォーカスがぼやけます。
 そもそもどうやって読むかわからない場合はかなり厳しい。

2.聞いた音はすぐ真似したい → "Listen & Repeat"で
 知らない外国語に出会ったとき、とりあえず声に出して真似したくなるもの。
 すぐリピートさせてくれるレッスンはストレスがなく、気持ちよかったです。
 逆に延々と説明だけが続くレッスンは、集中力を保てなかった。

3.視角に訴えるが勝ち
 9チームあったうち、パワーポイントを使ったのは1チーム。
 あとのチームは、手書きのポスターやドリルカードを作っていました。
 しかし軍配はやはりパワポに!
 もちろん使い方次第なんですがインパクトは大で、
 初級者の関心を惹きつけておくに十分でした。

4.スキットは感情を込めて演じる
 どんなにいいスキットを作っても、演じるときに棒読みだと興ざめするだけでなく、
 その言語が持つ自然な響きを感じられません。
 韓国語チーム1が演じたスキットは演者の気持ちが入っていたので、
 言葉は分からなくても意味や状況は伝わってきました。これ大事。

こんなところでしょうか。自分のティーチングにも活かしたい学び満載です。
あともう1回、2年生のクラスがあるので、そこでのデモの様子も記録したいと思います。

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Your e-mail could very well get ignored.

TOEICパート7ではe-mailが多く出題されますが、苦情のメールというのも結構あります。「届いたものが破損してた」だの「請求書の数字が違う」だのクレームの内容はいろいろです。昨日のTOEICクラスで生徒さんと音読したパッセージは、「苦情メールの書き方」というエッセーでした。そのポイントは以下の通り。
1. State your problem clearly.
2. Express your desired result without being vague.
3. End by suggesting how the company would benefit by solving your problem.

エッセーの中に「(苦情メールを書くのは楽な作業ではない上に) your e-mail could very well get ignored,(or... )」という英文があり、クラス終了後、生徒さんが質問に来られました。和訳では「あなたのeメールはおそらく無視されるか、(以下略)」とあるが、この"very well"とはどんな意味ですか?という疑問です。みなさんならどう解釈されますか?その時は「 very well が could で表す可能性を引き上げる」といった説明をしたよう思いますが、自分の中でスッキリしていないので記事にしてみました。

may wellで「おそらく~するだろう/~するのももっともだ」という用法があります。very wellはwellを強調したものなので「おそらく」とか「もっとも」の確率が若干上がる。couldやmightで表す可能性はmayより低いものですが、その可能性をvery wellが少し引き上げるんでしょう。「very wellにignore されるでしょう」という字面ですから、皮肉っぽい言葉遣いに見えるのは自分だけでしょうか?しかし書いてて疲れてきました(笑)おそらく自分では could very well のかたまりで「可能性の話をしている」と自動的に処理しており、それを分解して言葉で説明する労力を感じるのでしょう。

自分がこの英文を読んだ時にcould very wellに対してどういう意味処理をしていたか、質問された時にすぐには思い出せませんでした。質問されて初めて、どんなことに学習者が疑問を持ったりつまづいたりするかに気付くことは少なくありません。今の自分が自動的・無意識的にできていることでも、以前は考えながら・意識的にやっていたはずなのに。でもこれでまたひとつ学んだ!その生徒さんには感謝しないとです。

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Aya

Author:Aya
English learner

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